今日は人生初の横浜中華街でした。
横浜中華街:http://www.chinatown.or.jp/
昨夜は寝るのが遅かったのですが起きるのは早めでした。。。
起きたのがちょっと遅れたため10時15分に起き、身支度を15分以内に済ませて家を出たのが10時27分でした。
10時33分の電車に乗らないと遅れてしまうので。。。
超スピードでの支度でした(笑)
中目黒でみなとみらい線に乗り換えて1本です。
座れたので30分近く寝て行けました。
それにしても東急とかみなとみらい線とかって運賃が高いですね(汗)
電車賃がかなり掛かりましたよ。。。
以前、中華街は食品騒動があってから人が減ったとありましたが、今は全然人が多かったですよっ!
ただ、中国の食材の店は寂しそうでしたが。
今日行った店は炒飯とシュウマイが美味しくて有名な店らしく、確かに炒飯は美味しかったです。
シンプルですが米が1つ1つパラパラしていて、味も全体に絡んでいて美味しかったです。
しかし、ワンタン麺も頼んで食べたのですが・・・スープに味わいがなくそっけない味でいまいちでした。。。
焼きそばにすればよかったかも?!
食後、関帝廟へ行きました。
三国志好きな自分は行きたかった場所です。
【関聖帝君】
西暦160年ごろに実在した中国の武将「関羽」を神格化したもので、その信義を重んじた人柄から商売の神様として世界中で祀られているそうです。
【関羽】
今から約1800年前(西暦200年前後)の後漢、三国時代にかけて活躍した実在の武将です。
姓は関、名は羽、字(あざな)を雲長といいます。
後漢末期宮廷内部は宦官の悪政のため、漢王朝は末期的な症状を呈し、そのために世の中は飢饉と貧困が蔓延し、黄巾賊(太平道という宗教集団・頭部に黄色の頭巾を被っていたので黄巾とよばれた)の反乱が世の中を騒がせていました。
乱世をただすため、関羽様・張飛・劉備の三人は義兄弟の杯をかわし、義勇軍に参加し黄巾賊征伐に立ち上がります。
「我ら天に誓、我ら生まれた日は違えども、死すときは同じ日同じ時を願わん」これは劉備を長兄、関羽様を次兄、張飛を末弟とした義兄弟のそして主従の杯をかわしたときの有名な台詞で、これを「桃園の誓い」といい、この日より関羽様は劉備に生涯忠誠を誓い、義弟張飛とともに劉備を助け、国家の安泰のために国作りに立ち上がりました。
三国志好きな人で関羽が好きな人は多いですよね!
きっと義理堅さ、強さ、優しさに惹かれるのでしょうね。
ちなみに、自分は超雲(姓は趙、名は雲、字は子龍。冀州常山郡真定県の人。)が好きです。
地味で目立った豪傑さはないですが有名な話が『長坂橋の戦い』ですね。
【長坂橋の戦い】
一路南下する劉備らは、新野より随う領民を擁した為に進行に遅れが生じてしまう。
途上の当陽県長坂に差し掛かった際、遂に曹操軍に追いつかれ攻撃を受けてしまった。
曹操軍先鋒の文聘の攻撃、続く曹操軍の攻勢を劉備の義弟の張飛が殿として防戦していたが、曹操軍の波状攻撃を前にして敗退を余儀無くされる。
劉備は随って来た領民、妻子を見捨てて一刻も早く撤退、勢力を整え再起を図ろうとしたが離散する配下将軍は数知れず、参謀の糜竺や簡雍らとも逸れてしまっていた。
そして、混乱の最中に劉備の妻の糜夫人・甘夫人や劉備嫡子の阿斗(後の劉禅)らは魏兵に生け捕られてしまい、これを重んじた劉備旗下の将軍の趙雲は、迫る曹操の軍へと馬首を返すと単騎で夫人らの救出を試みる。
その後、魏将の淳于導の下に囚れの身となっていた糜竺、その後に甘夫人を救出して張飛に送り届け、趙雲は糜夫人・阿斗の捜索の為に迫り来る曹操軍へと再び馬首を返した。
途中、立ちはだかる幾人かの曹操軍の将を斬り、ややあって民家付近で倒れていた糜夫人を発見する。
糜夫人は重傷を負っており、足手まといになるとして趙雲に阿斗を託すと、傍に在った井戸へと投身自殺を図ったのだった。
趙雲は、阿斗を擁して劉備の元へと無事に帰参し、劉備はこの事に甚く感激したという。
その後、長坂橋に威を張る張飛の気迫と諸葛亮の計略とを懼れた曹操軍は追走が侭ならず、後に長坂橋が焼き払われるを以って劉備軍の兵力寡少を知ったという。
これにより曹操軍を一時的に足止めする事に成功した劉備一行は、先行していた関羽・諸葛亮らの水軍と合流、長江沿いに南下した。
しかし、皮肉なことにここで助けた阿斗(劉禅)は蜀の国を滅ぼしてしまう、愚かな皇帝です。
中国では阿斗=バカらしいです。。。
暑い中歩いたのでとても疲れました。